昨年の大晦日、そして今年の元日は、奈良で夜を明かし、昼は大阪市内のお寺を回ってきました。この1日半くらいの間で巡った社寺の数は9箇所。大学生の体力でなければ難しいであろう、参拝の記録です。
興福寺菩提院大御堂で除夜の鐘を撞く
近鉄奈良駅に到着したのは大晦日の夜9時のこと。これからの過酷な1日のために体力を温存すべく、この日は日中寝て過ごし、夜を迎えました。
最初の目的地は興福寺の菩提院大御堂での除夜の鐘です。
奈良の除夜の鐘といえば、奈良時代の国宝の梵鐘(奈良太郎)を撞くことができる東大寺が一番有名なのでしょうか。
興福寺でも2箇所で除夜の鐘を撞くことができます。1箇所は南円堂の鐘楼、そしてもう1箇所が菩提院大御堂です。
興福寺の中でも南円堂の方がメジャーなのですが、今回菩提院大御堂に行ったのにはもちろん理由があります。それは、大晦日の除夜の鐘の時間帯のみ拝観できる、重要文化財の阿弥陀如来像にお会いしたかったからです。数ある興福寺の仏像の中でも、拝観が難しいお像の一つです。
https://www.kohfukuji.com/property/b-0041/大御堂には9時15分くらいに到着しました。先着100名で受付は午後11時からです。まだ誰もいなかったので、一旦南円堂の様子を見に行ってみると、南円堂の方はもう20人ほどが並んでいました。やっぱり南円堂の方が人気なんだなあ。三重塔などを見つつ、再び大御堂に戻ると、一人だけ並んでいる方がいらっしゃったので、その後ろに並んで待つことにしました。
菩提院大御堂は、古くは奈良時代の学僧、玄昉の菩提を弔うために創建されたとも伝わる興福寺の子院です。ここの鐘は「十三鐘」と呼ばれていて、毎日2時間ごとに1回の12回と、早朝の勤行の際の1回、合計13回撞かれることから、「十三鐘」と呼ばれているそうです。また神鹿を殺した罪で石子詰の刑で処刑されてしまった少年、三作の塚も残されています。三作のエピソードとこの鐘から、近松門左衛門が「十三鐘」という浄瑠璃の演目を作り、有名になったみたいです。
また、大御堂に祀られている「稚児観音」にも面白い伝承があります。奈良のある上人が、弟子が欲しいと長谷寺の観音さまに願ったところ、帰路で美しい少年と出会い、弟子にすることができたのですが、三年後に急死してしまいます。少年は自分を火葬することなく、棺に入れて持仏堂に安置し、35日後に開けるようにと言い残します。上人がその通りにすると、棺から現れたのは十一面観音であった、というようなお話です。このお話を描いた鎌倉・室町時代の絵巻物が大阪の中之島香雪美術館に所蔵されており、重要文化財にも指定されています。
大御堂の建物もなかなか古い建築で、現在の建物は天正8年(1580)の再建だそうです。昭和に内部を収蔵庫風に改造されてしまっているせいか、文化財指定は受けていませんが、なかなか魅力的なお堂です。
大御堂の歩んできた歴史に思いを馳せつつ待機していると、堂内に灯りが灯りました。
23時に整理券を受け取ると、しばらく待機です。近くで並んでいた方によると、例年は待機の間に大御堂の中に入ることができ、近くでお像を拝観できたそうですが、コロナ禍以降は堂外からの拝観になっています。お目当ての阿弥陀如来像は大変大きなお像なので、堂外からでもよくお姿が見えました。頭が戦国時代、体が鎌倉時代のお像で、大御堂が戦国時代に火災にあった際、頭部が失われてしまったようです。他にも小さめのお厨子の中に安置されている稚児観音像や、地域のお堂から預かっている仏像も安置されているそうですが、堂外からはよく見えませんでした。堂内拝観の復活に期待ですね。
23時30分になり、いよいよ除夜の鐘を撞きにいきます。実はこの鐘も古く、室町時代の永享八年(1436)の鋳造です。大変貴重な鐘なので撞くのは緊張しましたが、奈良の町に年の瀬の重厚な響きを届けました。もう一度阿弥陀さまを拝んで、次の目的地へと向かいます。
今回訪れたところ
興福寺
https://bunkazai-map.colour-field.jp/places/T01471
今回見た文化財
◎木造阿弥陀如来坐像(除夜の鐘の時間帯のみの公開)
https://bunkazai-map.colour-field.jp/cultural-property/S/I/01374
◉興福寺三重塔
https://bunkazai-map.colour-field.jp/cultural-property/B/T/00060/00