2023→2024 大晦日・元日参拝記Part IV(大阪)

2023→2024 大晦日・元日参拝記Part IV(大阪)

奈良の寺社へのお参りを終えて、次は大阪市の方へ向かいます。最初の目的地は四天王寺です。

四天王寺の新春名宝展へ

展覧会その1

四天王寺では新春名宝展として、聖徳太子生誕1450年企画展「たいしたもんだよ、お太子さん!」という展示が宝物館で開催されていました。

国宝・扇面古写経をはじめ、多くの国宝・重文が展示される展示でしたので、今回行ってみることにしました。

展覧会その2

展示内容としては、四天王寺で発展してきた聖徳太子信仰と、そこから生み出された仏教美術の数々について解説するものでした。鎌倉時代から江戸時代まで、さまざまな時代の聖徳太子像や、その生涯を描いた絵伝も展示されています。

展示の目玉は、四天王寺に伝わる「大太子伝来七種の宝物」です。その七種とは、

①四天王寺縁起根本本(国宝)

②丙子椒林剣及び七星剣(国宝)

③懸守(国宝)

④細字法華経(重要文化財)

⑤唐花文袍残欠(太子緋御衣)(重要文化財附?)

⑥龍笛・高麗笛

⑦鳴鏑矢(重要文化財)

の七つです。

①の四天王寺縁起根本本は、四天王寺の縁起(創建の由来などを記したもの)を聖徳太子自らが記したものです。平安時代の1007年に金堂で発見されたと伝わっているものですが、実際にはこのころに書かれたものだろうとされています。南北朝時代にこれを見た後醍醐天皇は、自らこれを書写したものを作成しました。こちらは後醍醐天皇宸翰本と呼ばれ、巻末には後醍醐天皇の手形が朱色で捺されています。こちらも国宝で、今回は根本本と後醍醐天皇宸翰本がともに展示されていました。

②の二つの剣は、どちらも飛鳥時代に遡るもので、太子が身につけていたものと伝わっています。どちらも東京国立博物館に寄託されています。今回は昭和に作られた模造品が展示されていました。

③の懸守とは、首から下げるお守りのことで、主に女性や子供が使用したものなのだそうです。太子が使用したと伝わるものですが、実際には平安時代後期のもののようです。それでも懸守としては日本最古のものです。四天王寺に七つ伝わるうちの一つが展示されていました。

内部には小さな仏龕が収められており、X線写真を元に復元されたものも合わせて展示されていました。

④の細字法華経とは、本来七巻や八巻に分けて記される長い法華経を、細かい字で記すことで一巻にまとめたものです。こちらも聖徳太子の筆になるものとされ、太子の死後、行方不明になっていたものが、鎌倉時代に発見されたと伝わっています。実際には平安時代後期の作と考えられており、同じく重要文化財に指定されている平安時代の経箱の中に入って伝わりました。

⑤の唐花文袍残欠(太子緋御衣)は、聖徳太子が来ていた服の残欠と伝わるもので、実際に飛鳥時代のものが残っています。もとの形は保っていませんが、古代の布製品として大変貴重なものです。

⑥龍笛・高麗笛は、聖徳太子の愛用品と伝わる笛です。実際の制作は鎌倉時代と考えられています。室町時代に御花園天皇がこれを持ち出し京都に運んだところ砕けてしまい、四天王寺に返すと元の形に戻ったという伝説があり、「京不見御笛(きょうみずのおんふえ)」と呼ばれているそうです。

⑦の鳴鏑矢は飛鳥時代の鏑矢です。飛鳥時代、崇仏派の蘇我氏と廃仏派の物部氏が争い、聖徳太子も蘇我氏側について物部守屋と戦った際に使用されたものと伝わっています。正倉院に伝来している奈良時代の鏑矢よりも古様を示しているそうです。

四天王寺に伝わる太子ゆかりの七つの宝、なんだかファンタジー小説のような内容で心惹かれますね。

四天王寺宝物館の展示では無料で図録もいただけます。貴重な展示内容の解説を手元に置いておけるのはとてもありがたいことです。

図録

ちなみに、現在の四天王寺に残る飛鳥時代の遺構として、亀井堂にある四天王寺亀形石槽(市指定文化財)があります。2019年に飛鳥時代のものであることが発表されました。明日香村にある酒船石遺跡にあるものと同様のもので、七世紀後半のものであるとされています。

https://www.city.osaka.lg.jp/kyoiku/page/0000611769.html

四天王寺にお参りされた際にはぜひチェックしてみてくださいね。

最後に四天王寺にある鎌倉時代の石仏も見てきました

四天王寺の石仏

右が大阪府指定文化財になっている地蔵菩薩の石仏で、鎌倉時代後期の正和六年(1317)の作です。左の阿弥陀如来の石仏も鎌倉時代のものであると考えられています。こちらも見逃しがちな文化財ですね。

四天王寺を後にして、次はなんばの街中にある法案寺に向かいます。

日本橋の歓喜天 法案寺のご開帳へ

法案寺

法案寺も聖徳太子によって創建されたと伝わる古刹です。戦国時代には今の大阪城の場所にあった石山本願寺と密接な関係を持ち、数々の戦国大名とも争ったと言います。生国魂神社の神宮寺でもあり、大阪城の築城に伴い、現在の生国魂神社とともに移転してきました。現在の法案寺は、明治の廃仏毀釈でさらに移転してきたものです。

今回法案寺を訪問したのは、御本尊の聖観音が元日からの一週間ご開帳されているからです。平安時代後期の作とされるお像で、重要文化財に指定されています。かなり小さなお像で暗いお厨子の中に収められているため、やや見にくかったです。お堂に上がらせてもらい、持参の単眼鏡を使って見せていただきました。

このお像は十一面観音ともされているようです。というのも、法案寺は福を与える神、歓喜天を祀る寺として知られているそうなのですが、歓喜天は十一面観音を本地仏としているからなんですね。「日本橋の歓喜天」として知られる法案寺、大阪の商人たちが祈りを捧げてきたのでしょうか。

生まれ変わった古刹、三津寺

最後に、最近ホテルとお寺が合体したものとして話題となった三津寺をのぞいてきました。

三津寺外観

https://www.sankei.com/article/20231011-5ONEJ756N5IWHEDXUAUTOK3DAY/

新しいお寺の形として話題になった三津寺ですが、実は安置されている仏像がだいぶすごい….。古いものは平安初期に遡る多くの仏像があり、三津寺仏像群として大阪市指定文化財となっています。

三津寺内部

詳しくはこちらの方のブログに書かれております。 https://blog.goo.ne.jp/4n5mori1945/e/f2c1f727365736cde842f24fd91a3f5c

今回は中に入ることはできませんでしたが、そのうち拝観できるようになるのでしょうか。一度じっくりお参りしたいものです。

これにて長い大晦日・元日の旅を終えました。12月31日から1月1日にかけて歩いた距離はなんと35 km!正月早々疲労困憊で寄託しました。それでも翌日はまたお寺巡りに出かけたのですが、その時のことはまた別の機会に…。

今回訪れたところ

四天王寺
https://bunkazai-map.colour-field.jp/places/T01293

法案寺
https://bunkazai-map.colour-field.jp/places/T01293

三津寺

今回見た文化財

◉懸守
https://bunkazai-map.colour-field.jp/cultural-property/C/T/00053

◉紙本著色扇面法華経冊子(九十八葉)
https://bunkazai-map.colour-field.jp/cultural-property/P/T/00021

◉四天王寺縁起(根本本)
https://bunkazai-map.colour-field.jp/cultural-property/W/T/00104/A

◉四天王寺縁起(後醍醐天皇宸翰本)
https://bunkazai-map.colour-field.jp/cultural-property/W/T/00104/B

◎鳴鏑矢
https://bunkazai-map.colour-field.jp/cultural-property/C/I/02107

◎細字法華経(一部)及び塵地蒔絵経箱
https://bunkazai-map.colour-field.jp/cultural-property/W/I/01149

◎法案寺聖観音立像
https://bunkazai-map.colour-field.jp/cultural-property/S/I/01111