
文化財の宝庫、奈良。どの季節にもどこかのお寺でご開帳があるような地域ですが、実は6月が一つ注目の時期。 というのも、西の京・矢田丘陵エリアを中心に、唐招提寺の国宝・鑑真和上像をはじめとした貴重な文化財が公開されるのです。 今回は、6月にご開帳・特別公開のある唐招提寺・秋篠寺・矢田寺・東明寺の4箇寺を中心にご紹介していきたいと思います。
唐招提寺の国宝・鑑真和上像 (毎年6月5日〜7日に公開)
まずは奈良・唐招提寺の国宝・鑑真和上像の特別開扉から。
奈良時代、度重なる困難を超えて唐の国から来日し、日本に正式な戒律(僧侶が守るべきルールのようなもの)を伝えた鑑真和上。 鑑真が東大寺に戒律を授ける儀式の場、戒壇を設置したことによって、正式な僧侶になるためのルールの整備が進み、日本仏教発展の礎が築かれることになりました。
そんな鑑真和上が開いたのが奈良・西の京の唐招提寺。中国・唐時代の様式を伝える建築や仏像が数多く伝わる文化財の宝庫です。
唐招提寺の中でも最も有名な国宝が鑑真和上像。鑑真が没する前後に造られたという日本最古の肖像彫刻で、奈良時代の天平文化を代表する作品の一つとして、教科書などで見覚えのある方も多いのではないでしょうか。
唐招提寺では、6月6日の鑑真和上の命日に合わせて法要が行われるとともに、その前後で国宝・鑑真和上像が開扉されます。 お像が安置されるのは境内奥にある御影堂です。興福寺の別当坊であった一乗院の建物を移築したもので、江戸前期の宸殿建築として重要文化財に指定されています。 この三日間は普段は入ることのできない御影堂に入って鑑真和上像を拝することができます。 御影堂には昭和を代表する日本画家、東山魁夷の襖絵もあり見所がたくさん。
6月中であれば、新宝蔵で国宝・重文の仏像も公開されています。 こちらも合わせてぜひ拝観を!
秋篠寺の秘仏・大元帥明王像(毎年6月6日のご開帳)
奈良市西部にある秋篠寺は、奈良時代後期に創建された寺院で、光仁天皇・桓武天皇にもゆかりのある古刹です。
鎌倉時代に再建された国宝の本堂と芸事の神様、伎芸天像などで知られています。 国宝本堂は鎌倉時代の再建ながら、奈良時代の様式を残し、和様建築の代表例。伎芸天像など秋篠寺伝来の諸仏の多くは頭部は奈良時代の乾漆造、体部は鎌倉時代の木造となっており、奈良・鎌倉時代の文化財が集まった奈良らしいお寺となっています。
そんな秋篠寺に伝わる秘仏が重要文化財・大元帥明王(たいげんみょうおう)像です。 大元帥明王とはインドの鬼神に由来する尊格です。平安時代初期の僧、常暁は秋篠寺の井戸にて大元帥明王の姿を見て、唐に渡って大元帥明王を本尊とする敵国調伏、鎮護国家の儀式である大元帥法法を持ち帰ったといいます。大元帥法は宮中で正月8日から七日間行われる仏教儀礼として定着しました。平将門の乱の際など、国家の兵乱の際にもこの法が修されたといいます。
常暁が大元帥明王の姿を見たのが6月6日であるとされることから、毎年この日に大元帥明王像がご開帳されます。 鎌倉時代に造られたお像で、六本の腕をもち、髪を逆立てて忿怒の表情を浮かべ、さらに全身に蛇が巻き付く密教の尊像らしいインパクトのあるお姿をしています。 大元帥明王の彫像は大変少なく貴重で、重要文化財に指定されているのもこの一点のみです。
ちなみに、大元帥法は常暁が住した京都の法琳寺で継承されていくのですが、鎌倉時代の秋篠寺はこの法琳寺の影響下にあり、その影響を受けてこのお像が制作されたとの見解もあります。当時秋篠寺は西大寺と対立しており、その闘争から相手を調伏するための尊像としての大元帥明王が制作された可能性も指摘されています。 なかなか深掘りしていくと面白い密教の尊像なのでした。
あじさいと地蔵の寺 矢田寺の特別公開(毎年6月一ヶ月間)
続いてご紹介したいのが奈良盆地北西部、矢田丘陵に位置する矢田寺です。
天武天皇の勅願によって飛鳥時代に開かれたとされ、正式には金剛山寺といいます。 創建当初は十一面観音を本尊としていましたが、平安時代に満米(まんまい)上人が中興し、地蔵菩薩を本尊とするようになりました。
満米は平安初期の僧侶で、地獄に通っていたとされる小野篁の要請で、人々を裁くという立場に苦しんでいた閻魔大王のもとへ行き、その悩みを解決しました。お礼にと閻魔大王に地獄を案内してもらった満米は、そこで人々を救済する地蔵の姿を目にしたといいます。この世に戻ってきた満米上人は地獄で見た地蔵の姿を写したお像を造り、矢田寺の本尊として安置したと伝わっています。
通常、地蔵菩薩は右手に錫杖を持っていることが多いのですが、矢田寺のお地蔵さんは右手の親指と人差し指を結び、阿弥陀如来の来迎印のようなポーズをとっています。この様式のお地蔵さんを「矢田型地蔵」などと呼び、地蔵と阿弥陀の二尊の力を併せ持っているといわれています。
毎年6月、境内に紫陽花が咲き誇る時期に本堂の特別公開があり、重要文化財に指定された諸尊を拝観することができます。
中央に安置されているのが平安時代初期の地蔵菩薩立像(重要文化財)と、かつての本尊だった奈良時代の十一面観音像(重要文化財)、そして室町時代作の吉祥天像です。
その両脇には、重要文化財の二天王立像が安置されています。 この二天立像、実は奈良時代の作で、しかも唐招提寺講堂に安置される国宝の二天王立像とともに、かつては四天王像として造られたもの。 矢田寺に移された後の修理で、頭部は残念ながら失われてしまっていますが、奈良後期に鑑真が伝えた中国の最新の木彫技術がうかがえる貴重なお像です。 唐招提寺と合わせて巡るとより一層感動があります。
本堂内裏手には満米上人が地蔵の姿を写そうとして自ら刻んだという地蔵菩薩立像(平安後期・重要文化財)や、定朝様の阿弥陀如来坐像(平安後期・重要文化財)なども安置されており仏像がたくさん!
こちらはいつでも拝観することができますが、境内には鎮守社として春日神社があり、戦国時代に造営された本殿が重要文化財に指定されています。 満米上人が地蔵菩薩像を造るのを春日明神が助けたとの伝説もあります。
舎人親王ゆかりの東明寺の特別開帳(毎年6月1日〜15日)
矢田寺と同じ矢田丘陵に位置する東明寺は、奈良時代の皇族、舎人親王によって創建されたと伝わるお寺です。
持統天皇の眼病平癒を願った舎人親王は、夢で白髪の髪に出会い、霊山の水で天皇の目を洗うようお告げを受けます。その通りにすると持統天皇の眼病は治り、これに感謝してこの地に東明寺が造営されました。
毎年6月前半には本堂が公開され、堂内に安置される諸仏を拝観することができます。
本尊は舎人親王が感得したという薬師如来坐像です。サクラの一木造のお像で平安時代の中頃のお像で重要文化財に指定されています。桜は修験道の霊木でもあり、山岳信仰に基づくお像なのかもしれません。
本堂内には他にも、平安時代の毘沙門天像と吉祥天像(いずれも重要文化財)が安置されています。吉祥天像は奈良では珍しい?伝教大師最澄作と伝わるお像です。 毘沙門天と吉祥天は少し制作年代の違うお像ですが、夫婦とされる二尊の古像が伝わっていることには何か意味がありあそうですね。
さらに、この寺で休んでいた雷様から東明寺の僧侶が盗んだという「おへそ」という変わったものもあります。
おわりに 合わせて巡りたいおすすめ
以上、奈良の6月のご開帳スポットをご紹介しました。6月6日であれば四箇所とも巡ることができます!
2025年は残念ながら金曜日ですが、来年2026年の6月6日は土曜日!今からスケジュールに入れておいてもいいかもしれません。
この時期だけの公開ではありませんが、 法華寺 の国宝・十一面観音立像は6月5日〜10日にご開帳があります。(春・秋にもご開帳)
またご紹介した西の京エリアや矢田丘陵の周辺には、国宝建築・彫刻を有する 薬師寺 、 西大寺 、 長弓寺 、 霊山寺 や、 重要文化財の本堂と大黒天像を所有する 松尾寺 、江戸時代の書院でお抹茶を楽しめる 慈光院 など見所が盛りだくさん。ぜひ合わせて巡ってみてください。
今回ご紹介した国宝・重文
唐招提寺
https://bunkazai-map.colour-field.jp/places/T01450
国宝
乾漆鑑真和上坐像
奈良時代
重文
旧一乗院宸殿
江戸前期
重文
旧一乗院殿上及び玄関
江戸前期
秋篠寺
https://bunkazai-map.colour-field.jp/places/T01459
国宝
秋篠寺本堂
鎌倉前期
重文
木造大元帥明王立像
鎌倉時代
重文
木造伝伎芸天立像(頭部乾漆造)
奈良・鎌倉時代
など
矢田寺
https://bunkazai-map.colour-field.jp/places/T01501
重文
木造地蔵菩薩立像
平安時代
重文
木造十一面観音立像
平安時代
重文
木造地蔵菩薩立像(試みの地蔵)
平安時代
重文
木造阿弥陀如来坐像
平安時代
重文
木造二天王立像(頭部欠)
奈良時代
重文
春日神社本殿
室町後期